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文明科学研究所について

 


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文明科学研究所って何だ

 

 国際的に見ておそらくまだ前例がないと思われる、〈ボランティア型リサーチコミュニティ〉です。小粒ながら世界の研究開発の最前線の一角に確かにくい込んでいるその実力の源泉は、独自に築き上げた〈メタファンクショナル・リサーチアクティビティ〉にあります。

 なぜ、〈ボランティア型リサーチコミュニティ〉かというと、メンバー全員が、社会人として自分の職場を持ち、あるいは学生としてキャンパス生活を送るかたわら、緊密な共同体に結集して、力を合わせて研究にいそしんでいるからです。もちろん、全員が無給どころか、手弁当です。国際級の研究機関のスタッフや大学の教授・助教授など名実ともにトップクラスの研究のプロにまじって、日常は研究と縁のない民間企業の管理職から学生まで、アマチュアのメンバーも何ら遜色なく肩を並べています。そして全員が、このコミュニティの中で時間と手数を惜しまず、心技体を第一歩から鍛え上げられ、パイロット・カルチャーの伝承を受けつつ育った、手創りの精鋭なのです。

 〈メタファンクショナル・リサーチアクティビティ〉すなわち〈超機能研究活性〉は、このリサーチコミュニティのコンセプトと切っても切れない関係にある、私たち独自の力量の源泉です。現在、世界の研究最前線に翳りを導き、行き詰まりの原因となっているのが、過度の専門分化、いわゆる「研究のタコツボ化」や「専門バカ」の蔓延であることは周知の事実です。特に、とめどない細分化が激増させる「専門の壁」と「分野間の空白」とは、事態を深刻なものにしています。しかし、十九世紀後半以来、高度専門化を理想として築き上げてきた現代の研究体制の枠組では、その前提となっている「専門への閉じ籠り」や「単機能化」を打破することが、論理的にも社会構造の上からも、うまくできません。

 より原理的に観れば、人間に生得的に具わった広範な活性の中からただ一つだけを選び他を切り捨てることによってそれを高度化する、そして、その専門職業のみを通じて生きる糧を得るという単機能専門分化には、かなり危険な「ワナ」があります。

 非常にわかりやすい問題を挙げれば、単機能化の宿命として、指を折ったピアニスト、足を損ねたランナーなどは、それ自体、営々として築き上げた能力と人材のスクラップ化を意味します。そうした悲劇は、伝統的共同体には原理的にありえません。

 伝統的共同体では誰もが超機能的に全ての問題に対処する立場にあり、人材のスクラップ化と無縁です。そして、どのような問題が生じた場合でも、それが「専門外」だという理由で放置されることなく、共同体のもつ全方位に開放された柔軟な活性をアレンジして解決のフローにのせられてきました。こうした伝統的基盤をもつ社会にそれぞれが有限機能に限定された高度専門化方式を導入すると、伝統の力で欠陥が穴埋めされて、メリットだけが目立つことになります。これまでの日本は、その一例でした。これに味をしめて専ら単機能専門分化に走った社会では、いつの間にか、誰の専門にも該当しない空白地帯が専門分野相互の間に増殖し、ついにはそれらが顕在化していきます。ところがこのときには、伝統的な万能性の問題処理能力が個人からも社会からも消え去っており、空白を埋めるなんらの手立てもありません。近現代文明は、今まさにこの段階にさしかかっており、専門分化を脱却した「学際化」「業際化」「芸際化」が必死に叫ばれているわけです。

 それだけでなく、よりマクロに見ると、専門によって生計を立て、社会的に地歩を占めるというパラダイムそれ自体に、非常に性格のよくない「ワナ」が潜んでいます。たとえば、社会の不義を正し、よりよい世の中を築くことをめざす崇高な動機に基づいた宗教活動や社会運動などでも、布教や革命を生業とする単機能専門家が養成され、それらの人々が主導権をとる場合があります。この形態をとってしまうと、たとえばその教義や理論が時代遅れになったり、当初の問題が解決して「世直し運動」の必要がなくなり、あるいはかえって負の効果が出る状況になっても、プロの皆さんの失業救済のために、あるいはそれらを背景にしたある種の覇権争いのために、布教活動や革命運動を止めるに止められないという本末転倒の事態が生じうるわけです。

 文明研の大きな存在理由のひとつは、副作用があまりにも大きく、すでに過去のものとなったこのような高度専門分化方式を本格的に打破し、分野の壁や空白のない超専門型の研究体制を実際に築き上げ運用していることです。そのためのポイントを一言でまとめていえば、所員一人ひとりが、何かの専門能力を持つ持たないにかかわらず、人類の遺伝子と脳に約束された活性を開放し全方位にわたって再開発するということです。

 そのより具体的な捉え方として、私たちは一人ひとりが学術と技術と芸術とのすべてにおいて、十分バランスのとれた高度な活性を身につけることを日常的に実践しています。この点で、私たちの最初の「表現形」がアート・パフォーマンス・グループ〈芸能山城組〉であったことは今も有効性を発揮しています。なぜなら、文明研のメンバーであるためには、それは同時に芸能山城組のメンバーであることを意味し、それにふさわしいレベルの芸術的活性を養わなければならないからです。技術の領域も、同様に重視します。研究用の機材の開発やメンテナンスから楽器の製作やチューニング、そしてイベントの企画運営、外交折衝、はては会計事務処理から電話の取次ぎに至るまで、現代の研究や芸術のプロならば見向きもしない、いわゆる「雑多」な技術的課題を、それ自体、決して先端研究に劣らない意味を持つものとし、真剣な取組の対象にしています。

 このようにして成長を遂げていく超機能研究活性は、特にハイレベルの研究機関に属しているメンバーたちがそれぞれの部署でユニークな業績を上げて所属機関に貢献し、共存共栄を稔らせるという現実的な収穫に結びついている側面も見逃せません。このような〈メタファンクショナル・リサーチアクティビティ〉から、現代科学の最前線に躍り出る文明研独自の活動が実現しているわけです。

 

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