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「地球」誌上での提言 |
当時の世の中の 一般的な見解や動向 |
1975年 |
「もっとも貴いもの」(最高の価値を「地球」生態系として提唱)(地球02号) |
地球は無限、開発至上主義 地球をひとつの生命体と捉える「ガイア仮説」(ジェームス E. ラブロック)の発表は4年後の1979年 |
1976年 |
「不純宣言」(辻井喬氏と山城祥二による対談)(地球08号) |
純粋が善、不純は悪。 純粋芸術に価値がありサブカルチャーは価値が低い。機能は専門化した方がよく、ひろがっているのはよくない。
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1977年 |
「分子生物学と芸能の邂逅」(芸術の遺伝子決定論、渡辺格氏と山城祥二の対談)(地球11号) |
芸術はそれ自体の法則に支配される無限の体系。見たことも聴いたこともない新規なものほどよい |
1978年 |
「もっとも貴くないもの」(地球生態系を蝕む「人間」をもっとも貴くないと提唱)(地球12号) |
人類は最高の存在、地球はそれに従属するのが当然 |
1979年 |
「DNAこそバイブル」(人類の能力の有限性を示す遺伝子決定論の宣言)(地球19号) |
人間の能力には限りがない。限りない進歩発展こそ善 |
1979年 |
「文明の苦汁(にがり)−文化生態学のあけぼの−」(川喜田二郎氏と山城祥二の対談)(地球19号) |
近現代文明を讃美 |
1980年 |
「80年代における文化と環境 『伝統と変容』ほか」伝統の再評価(地球20号) |
伝統は旧く悪しき存在だから否定すべき |
1980年 |
「情報という環境」(地球21号) |
環境を図る物差しは物質とエネルギーのみ。情報は意識の外 |
1980年 |
「今、なぜ祭りなのか」(地球22号) |
「祭りなんて野暮だ」「ダサい」 |
1980年 |
「情報環境の病理学」(小田 晋氏と山城祥二の対談)「情報環境の破壊が現代の病理を導いている(地球22号) |
「環境は物質とエネルギーだ」 |
1980年 |
「西欧的一元論の終焉−1980国際価値会議をふりかえって」西欧一辺倒の文化と価値観の克服(地球23号) |
西欧文明を絶対視してこれを信奉する |
1981年 |
「快適環境の提唱」
「快適の生態学」
「現代社会の快適性」(下河辺 淳氏と山城祥二の対談)(地球24号)
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効率、性能、速度など物理特性を優先。快適性は本質的でなくプラス・アルファの贅沢 |
1981年 |
「群れ創り学のロジック」ヒトは群れをつくる動物(村上陽一郎氏と山城祥二の対談)(地球25号) |
共同体は悪しき旧体制。暴走族や校内暴力など“群れ”は悪の代名詞 |
1981年 |
「神と祭りの科学」
「神という制御回路」
「神のスタイル・人のスタイル」
「水と祭り−人類文化への情報環境学的アプローチ」
「臨床『神』理学」(河合隼雄氏と山城祥二の対談)(地球25号)
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無神論がスタンダード
「今どき神様や祭りはないだろう」
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1982年 |
「専門化社会に明日はあるか」(地球28号) |
「専門家にあらざらば人にあらず」「単機能のプロこそ正義」
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1982年 |
「『人間もどき』教育課程」人類の生物的な本来性に基づくにひと続く(地球29号) |
単機能専門家を育てるのが近代教育
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1982年 |
「科学と精神世界」心の科学の提唱(地球30号) |
科学と精神とは別世界、切り離さなければならない。心は科学の介入を許さない。
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1983年 |
「呪の科学」
「バリ島の生態学」(地球31号) |
祝祭や呪術は科学の敵
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1984年 |
「記号中毒」(地球32号) |
記号論全盛「記号論者にあらざれば人にあらず」
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