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研鑽:全方位型の活性構築


 文明科学研究所のコミュニティ・メンバーになると、日常の実践を通して学術・技術・芸術のすべてにわたる高度な活性を身につけるよう研鑽の日々を迎えます。このメタファンクショナル・リサーチアクティビティの開発戦略それ自体が、近現代文明の限界を超えた人創りとして、科学哲学・科学社会学の先端領域でも注目されています。
 例えば、総合研究大学院大学の共同研究「〈科学・技術・社会〉論の構築」研究会に2004年12月、所員のひとりが招かれて、文明研での研究活性開発の実態について講演しました。その内容は、あくまで個人の体験ながら、文明研の〈メタファンクショナル・リサーチアクティビティ〉開発訓練の様子を端的に述べています。以下にその全体(一部加筆修正)を紹介します。

 

1.人間の脳の大部分は非言語脳

 ただいま話のありましたように(この講演に先立って、別の所員の講演が行われた)、諸分野における最近の知見から、人間にとって言語性の脳機能はごく一部にすぎず、脳の大部分は、むしろ非言語脳といえるのではないか、という見解は無視できないものになっています。

2.現代の高度専門化社会における若者の活性

 これに対して、現代の高度専門化社会における教育では、このわずかな言語脳の機能ばかりを重くみて、その土台をなす非言語脳にあまり配慮しない、「言語脳偏重」型の教育とでもいうべきやり方がとられてきたのではないかと思います。このように、実世界との接点が非常に貧困な一方で、私が大学で受けた専門教育のように、他人の脳でいったんデジタル化された言語情報ばかりがつめこまれた脳からは、状況に対する柔軟性や真に創造的な働きというものが生まれにくくなっていくように感じます。

3.非言語脳を鍛える場所「文明科学研究所」

 最近の若者にありがちなこの脳の活性のアンバランスに着目して、この非言語脳を徹底的に鍛えよう、というのが「文明科学研究所(文明研)」の大切なテーマです。
 文明研では、言語脳も鍛えますが、それとバランスを失わない状態まで非言語脳を鍛えることで両者の本来的なバランスを回復し、自然界や実社会の環境と調和した行動が、意識、無意識の両面でとれるようになることをめざします。 その試みはまだ途上ですが、ここではその活動内容を、私自身の、たいへんお恥ずかしいふつつかな体験を材料にしてご紹介していきたいと思います。

4.文明科学研究所の出発点と現在の組織構成
 文明科学研究所とは、大橋 力こと山城祥二の主宰するアーティスト集団「山城組」の中に、1981年に設立された自律的な研究組織です。「自律的」というのは、構成員が皆、生業としての職業を別にもち、文明科学研究所には、ボランティアとして参加しているからです。
 所長に、当時筑波大学の講師をしていた山城祥二こと大橋 力、名誉所長に、当時筑波大学の教授でいらっしゃった川喜田二郎先生が就任しています。メンバーの資格は、山城組のメンバーであることです。当時は、この2名のほかは、ほとんどが大学生という構成だったそうです。
 そして、設立から23年目にあたる現在の正所員は約20名。うちドクターが10人、ドクターをめざして勉強中の人間が約1.5人ほどおります。来年4月に総研大の生理科学専攻に入学予定のものもおりまして、ここでは、この人間を半人前としてカウントしました。

5.文明科学研究所の最近の主な業績

 文明科学研究所の最近の主な業績を示してみました。
 Natureをはじめ、Nature Neuroscience、Journal of Neurophysiologyなど、近年になって、国際的な業績が、少しずつですが着々と出始めています。昨年刊行された『音と文明』は、その集大成というべき内容です。

 

6.文明科学研究所の作法−入門〜1年目〜

 それでは、文明科学研究所の具体的な活動内容について、私自身の経験をまじえながらご紹介します。ここで「作法」というやや古風な言葉を使っておりますのは、さきほど申し上げましたように、文明研では、まず、環境と調和のとれた行動というものを徹底して指導されるということがあり、私には、それはまさに「作法」という言葉がふさわしいもののように思われるからです。
 まず、文明研に所属する前提として、マルチパフォーマンス・コミュニティを標榜するアーティスト集団、山城組に入門しなければなりません。ここには書いてありませんが、入門にあたっては、一種のオーディションがあり、その内容は、体力テスト、知能テスト、面接といった結構ヘビーなものです。この審査は、個々の人間の初期条件をみるという意味合いも強く、これを通じて活性のバランスをみて、入門後にまずどこを鍛えたらよいかの方針を得るための参考にもなります。
 こうして入門した後は、得意な領域を伸ばすよりも、まず、人並みよりも弱い部分を鍛えることが活動の眼目になります。これは、入門当時の自分の活性のイメージです。頭でっかちの、たいへんバランスの悪いプロポーションをしています。このように、複数の入門者それぞれに対して、世話役の先輩が個別について活動を行っていきます。
 新人の研鑽では、劇団や合唱団の発声練習のように、本番と切り離されたかたちでのトレーニングというものはほとんど行われません。事務所のそうじ、先輩のお供やお使い、芸能の稽古、国内の伝統的共同体へのフィールドワークといった、いずれも体験性の情報共有が重視される現場に、ほとんどぶっつけ本番で放り込まれることで、非言語脳を働かせないわけにはいかないという状況を迎えます。世話役の先輩を見よう見真似で手伝う中で鍛えられるのですが、もっぱら手足を動かして走り回ることになります。
 こうした中で、先輩に手元を直接見てもらいながら、いろいろな指導をうけていきます。私の場合、入門早々、所長である大橋から、「手が山芋のようだ」というたいそうショッキングな指摘をうけました。後で聞いたところによりますと、一目見て、仕事を全然していないことがわかる手であったとのことで、これはまさに図星でした。あわせて、「手を動かす仕事をすれば、そのうちきれいな手になるから騙されたと思ってやってみろ」とのアドバイスもいただきまして、悔しさ半分に、「よし、やってみよう!」と決意したことを覚えています。その後の活動の中でも、諸先輩方から、「字が汚い」「箸や茶碗の持ち方が変だ」「お寿司を牛乳を飲みながら食べたのでは味がわからない。握っている職人さんが泣きたくなるような食い方はするな」といった指導を受けたことなどを、よく覚えています。ちなみに、私はそれまで、何と、お寿司を、わさび抜きで牛乳を飲みながら食べるということをやっていました。
 こうしたことは、普通は小学生くらいまでに、家庭でしつけられるべきことでしょうけれども、私自身は、こうしたことを、それまで家でも学校でもほとんど教えてもらう機会がありませんでした。文明研では、こうしたことが成熟した日本人のレベルで人並みの結果を出すまで、根気よく直され続けます。
 また、こうしたことがきちんとするまでは、今の時代の若者にとっては当たり前のもっともらしい口をきいたりすると、たちまち自己嫌悪を満喫するような状況に見舞われます。そんな環境を生きるわけです。
 そして、芸能の稽古。これは、本人の意志にかかわらず、入門したらすべてのレパートリーを必ずやることになっています。レパートリーは、日本の太鼓芸能や東欧の合唱、インドネシア・バリ島のケチャやガムランなどで、世界各地の成熟した文化圏の芸能から、いずれも、周りの人たちと息をあわせなければ絶対にうまくいかないもの、個人のスタンドプレーをやったら全体が台無しになってしまうようなものが選ばれています。楽譜もろくに読めない私も、入門した年の夏から、いきなり合唱の列に加えられて声を出すことになりました。やってみると、特に私の場合ですと、「ひどい喉声」であるとか、「周りの声を全然聴かずに歌うから全体のハーモニーを壊している」といわれまして、穴があったら入りたいような心持ちになるのですが、合唱の列に加わっている以上、声をださずにいるわけにもいきません。必死で見よう見真似をするのですが、こうした場面こそが、自分の乏しい非言語脳を最大限働かせて鍛えていくことのできる貴重な機会だと思います。私の場合、自分の意識では周りに合わせているつもりでも、周りからみれば全然そうでないという状態が相当長く続きました。現在でもその感はあるのですが、最近になってようやく、どうにか周りの邪魔にならない声の出し方が時々できるようになったかな、という程度でして、これは今でも、自分にとって最大の課題のひとつです。
 ちなみに、大橋門下では、環境と調和しない「目立つ」行為、たとえば、自己顕示的なスタンドプレーですとか、環境が発する非言語的なシグナルを察知できずに、不適合な行動をとるといったことが、最もみっともなく恥ずべきこととされて、この点での自律的な制御が強く求められます。文明社会に生きていると、「目立つことがなぜ悪い。私の勝手でしょ」という言い分がまかり通ってしまいますが、目立つ行為が強く抑制される理由は、熱帯雨林にフィールドワークに入ったときに、私はよくわかったような気がしました。自然界では、「環境と調和せずに目立ってしまう」ということは、天敵に発見されたり、獲物に逃げられたりするという結果を招いて、自らを死に導く行為にほかなりません。森に入ると、環境に調和した行動を選択することが、最も強力な生存戦略である、ということを体で実感します。
 さらに、伝統的な共同体にフィールドワークにはいったときには、「郷に入れば郷に従え」という姿勢を実地に学びます。成熟した共同体の方々というのは、「京都のぶぶ漬け」のように、面と向かって口には出さないけれども、こちらのふるまいについて、暗黙のメッセージを送るということがよくあります。たとえば、神様に奉納する神聖な芸能が演じられる場所に土足で踏み込んでしまったときに、「NO」と言うかわりに、婉曲な表現でにこやかにそれをたしなめるとか、あるいは何も言わずに目線でそれとなく知らせる、といったことです。こうしたシグナルをキャッチできるかどうか、キャッチできたとして、先方が要求する行動に自分を切り替えることができるかどうかが問われます。

7.文明科学研究所の作法−2年目〜4年目〜

 とはいえ、入門して1年間は、新人は「お客さん」です。活動のエッセンスは体験できますが、舞台裏までは簡単にいれてもらうことができません。
 2年目になると、舞台裏を含め、研究所のあらゆる活動にかかわるチャンスが出てきます。活動の拠点である事務所の管理運営にも携わるようになって、世話役の先輩に加えて、現場の主なメンバーや、ときには所長の大橋自身から指導を受けることになります。
 新人時代の活動にくわえて、研究の現場で、研究用機材のメンテナンスや半田づけをしたり、貴重な機材を、落としたりぶつけたりすることのないように運んで然るべき場所に設置し、配線をする、ということもやらせてもらうようになります。こうした場合、間違った配線をしないことはもちろん大事なのですが、機材を置く場所の選び方、機材の置き方、ケーブルの引き回し方などについても、先輩の鋭い目が、ひそかに光っています。まっすぐ置いたつもりの機材が実は傾いていたり、ケーブルに張力がかかるような配線をしたり、また、見ため上美しくないレイアウトだったりすると、「一体誰の仕事だ」ということになって、これまたしばらくはまともに顔をあげられない状態に陥ります。
 この時期になると、フィールドワークについては海外の見知らぬ土地へ出かけていって、芸能を習ったり、音や映像の収録をさせてもらえるようになります。言葉も文化体系も、自然環境も大きくことなる海外でのこうした経験は、国内の場合よりも、さらに、非言語脳を数倍から数百倍働かせないとやっていくことができません。また、私の場合は、2年目から、世話役の先輩の家に住みこみで弟子入りをさせてもらいました。そうじ、洗濯、炊事などを通じて、これまで、お茶もろくにいれたことがない人間であることが周知の事実になった後で、人生をゼロからやり直すつもりではじまった2年目でした。その中では、自分のこれまでの人生が根底から覆される思いをすることもたびたびでしたが、住み込みになったことで、逃げ場もないかわりに、落ち込んでいるゆとりもなく、ひたすら奔走する毎日を過ごしていました。
 言語脳領域では、対外折衝の手伝いや研究内容の記録、スライドや論文作成の手伝いといった活動を通じて、研鑽を積みます。

8.文明科学研究所の作法−5年目〜10年目

 5年目あたりから、中堅メンバーとして、研究所の管理運営や事業の運営、そして、後輩の育成などに携わるようになります。
 これまでの活動に加えて、事業の中心メンバーとなって実務をこなしたり、先輩の援助をうけながら、対外的な折衝を行う必要が生じてきます。また、後輩の世話役となって、自分がこれまで学んできたことを伝え、育てていかなくてはなりません。体験性の情報を伝えるためには、本を渡して「読んでおけ」では済まされず、自分自身が手本を示せることが必要ですので、本当の実力が試されるというちょっとコワイ面もあります。先輩からはダメを出され、後輩からは突き上げられ、という板ばさみ的な状況にも直面する中で、非言語脳の自立的な活性を、まがりなりにも成立させて言語脳とのバランスがとれたプロポーションになっていく時期といえると思います。
 研究活動への本格的な参加もこの時期です。大学院への進学などを通じて、これまでは断片的にしか関わることのなかった研究の内容について勉強し、自らの研究構想と実験計画の策定を行います。また、音や映像の収録や編集、実験、成果発表などの現場に先輩の手伝いとして参加しながら、自分自身の研究の準備を進めることになります。
 フィールドワークも、人跡稀な熱帯雨林への調査などに同行させてもらうようになります。これは、文明の利器の一切存在しない人類のふるさとでの、一種のサバイバル体験です。深い森の中に研究機材の数々を持ち込んで、狙った獲物、つまり決定的な音響映像をしとめることができるかどうかが問われます。緊密なチームワークを含む活性の程度が試される、楽しくも緊張させられる貴重な体験です。

9.文明科学研究所の活動の様子

 ここでは、活動の様子を写真でご紹介してみました。

10. 文明科学研究所の作法−10年目以降〜

 10年目以降の段階になると、個別性はあっても、ひとりひとりが言語領域と非言語領域とのバランスを備えた山のような存在になっていることが求められます。ただし、私自身は、まだその領域には到底達していないので、これは先輩たちを見てご紹介している内容と思っていただければ幸いです。
 言語脳領域では、これまでの活動に加えて、研究プロジェクトの代表として競争的な研究資金を獲得したり、国際的な場での成果発表を行ったりします。非言語領域では、同じくこれまでの活動に加えて、研究開発プロジェクトの自律的な推進や組織における物心両面での環境づくりに貢献することも務めのひとつとなってきます。
 さらに、これらの山と山、つまりメンバーとメンバーとが緊密に連携しながら、融通無碍の社会活動を行うという側面が自ずと現れてくるさまは、傍からみていても、プロジェクトXさながらのわくわくするようなものがあります。

11.文明科学研究所のめざすもの

 以上、文明科学研究所の作法について、私自身の経験をまじえながらご紹介してきました。
 最後に、文明科学研究所のめざすところについて要約しますと、そのひとつは、「遺伝子に約束されている人類本来の活性や姿を、現代科学文明を武器として成立させる」ということになるのではないかと思います。この「人類本来の活性や姿」として私たちが参照しているのが、自然と人間との共存や、人間の全方位的な活性という点で永年の実績をもつ日本の伝統的な村里であり、バリ島の共同体であり、そして、アフリカ深部の熱帯雨林に棲む、人類の原点としてのムブティ・ピグミーの社会集団「バンド」であります。
 文明科学研究所とは、こうした人々の活性や群れとしての有りようを、科学技術文明のもとに再構築しようという集団、ということもできると思います。

12.文明科学研究所の活性のデザイン〜エッフェル塔からピラミッド、そして火山列島へ

 最後に、文明科学研究所のめざす活性のデザインを、イメージ的に表現してみました。これは、所長 大橋の最新の著作である『音と文明』のむすびとしてまとめられていますので、ご興味のある方は、そちらで詳細をご参照ください。
 左上が、高度専門化社会がきわまった姿としての「エッフェル塔方式」。これは、有限の時間と材料を効果的に使ってできるだけ構築物の高度を高めようという発想に基づくもので、単機能専門化の人づくりの真骨頂ともいえます。この方式では、底面積の大きさと塔の高さ、すなわち活性の到達点とは、逆相関の関係をとることになります。裾野を小さくするほど頂点を高くすることができるので、マックス・ウェーバーの奨める「専門の殻に閉じこもる」作戦に傾きがちになります。ピアニストになるには、家事の手伝いなどはしないで、一日7時間ピアノに向かっていよう、という作戦です。大学に入学したころの自分をはじめ、現代の言語脳偏重型の教育を施されてきた多くの若者が、この形に鋳造されつつある可能性が高いように思います。
 右上は、「ピラミッド方式」。これは、ピラミッドのように、広い裾野をもった土台のうえにすこしずつ面積を小さくしながら材料を積んでいって高度を出す方法で、物理的な自然性や力学的な合理性を重視したやり方といえます。また、底面積の大きさと、活性の到達点とが正相関の関係をとるため、裾野を広げるほど頂点が高まるという点で、エッフェル塔と対照的です。この方式の効率は、エッフェル塔型にくらべてずっと低いため、必然的に「大器晩成型」のプロセスを踏むことになります。「一芸に秀でれば多芸に通ず」といった、東洋にみられる伝統的な活性構築は、この洗練された実例といえます。
 そして、これが、文明科学研究所のめざす「火山列島方式」です。これは、海底から隆起する活火山の連峰をイメージしたもので、ピラミッド方式を社会集団へシステム化したような内容をもっています。ただし、エッフェル塔やピラミッドが、ある種の制度や、体系的な教育などの外力で築かれるイメージをもつのに対して、火山方式は、生物としての人間が本来もっている内的な力が、環境とのインタラクションによって自律的に発現し、形成されていくというイメージをもっています。また、エッフェル塔やピラミッドが、完成を迎えた後は静止にはいるか緩慢な解体に向かうのに対して、火山群は時々刻々変容を続けてやまず、深部を流動するマントルによって連動したひとつのシステムをなすという点でも異なっています。こうしたイメージを、人間の活性の構築にあてはめると、限定された目的や特定の規範を鋳型とすることなく、自然の法則と、変動し続ける環境条件に合わせた新鮮な能力を、常に養ってやまない体質を目ざすことにあたります。これはさらに、エッフェル塔やピラミッドのように孤立した一個の頭脳として自己完結するのではなく、複数の頭脳が体験性情報というマグマで結びついた〈メタファンクショナル・リサーチコミュニティ〉すなわち「全方位性の活性共同体」とでもいうべきシステムとして実現します。
 まだまだ途上ではありますが、所長の大橋が自ら最初の被験者となって進めてきたこの火山列島型の活性開発という試みを、ともに共有し、検証していこうという人間の集まりが、文明科学研究所であるということもできると思います。
 以上、たいへんつたない内容でしたが、私の報告を終わります。ありがとうございました。



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