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「音と文明」書評

 >> 「目から鱗、創造的破壊の知」
   辻井 喬 先生    (詩人・作家)
   (東京新聞平成15年11月30日朝刊掲載)

 


目から鱗、創造的破壊の知
辻井 喬 先生 (詩人・作家)

 『音と文明』を読んで久し振りに「目から鱗が落ちる」という言葉を思い出した。
 著者は音の性質、音の環境について疎放としか言いようのない現代文明の未開の分野を考察し、なぜそのような粗雑がまかり通ってきたのかを分析し、その結果として袋小路に迷いこんだように見える近代文明を未来へと救出することを目指したのではないか。
 それは「音の学の組換え」にはじまって「遺伝子に約束された環境のデザイン」に至る道程で順次明らかにされてゆくのだが、著者は脳生理学、分子生物学、言語学、音楽学そして哲学へとその学際的な知識とそれぞれの思考と論理の様式を必要に応じて援用し、音に関する従来の学説と常識を批判的に分解し読者を新しい地平へ連れてゆく。
 古来、音によって人類は何を伝達してきたのか。音は具象性・象徴性を持ち上位の階層としての言葉や音楽によって人間存在をトータルに現わしコミュニケーションは、合図、言語、音声、音楽に類別し得るというような基礎の検討から出発して、著者は現代が、人類に適合する本来の音環境から大きく離れてしまっている情況を解明する。
 現代はまだ音環境の人間にとっての良し悪しを測定する手法すら持っていないのだ。こうした考察は必然的に「現代病」と呼ばれている、人々の不安、孤独感、総じて社会不適合症の原因に迫っていくことになる。
 思考が四方八方へと発展しながら決して拡散し過ぎることがないのは、著者の筆が音楽運動の組織者としての豊富な体験に裏付けられているからである。この長所は例えば多地域並行進化説とアフリカ単一起源説の優劣を論じるような際にも通奏低音におように響いている。この著作には総合を困難にしている個々の科学の発展を未来に向って束ねていく思考様式が提示されていると言えよう。音の環境分析の学は著者の創造的破壊の知によって総合化の恰好の学として登場したのである。
(東京新聞平成15年11月30日朝刊掲載)


 

 
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