『音と文明』読後感
根岸廣和先生 (株式会社ダイマジック顧問・英国エセックス大学客員教授)
『音と文明』との出会いは衝撃的。還暦を過ぎ読書の楽しさと苦しさを始めて同時に味わった。何しろ著者渾身の大作、しかも理解力は限られている。「どう楽しみ、どう苦しんだか」。我流で恐縮だが九品仏になぞらえて読後感として述べて見たい。
1.上品: 成る程と感嘆し、楽しんだところ
1.1 上の上: 序:宇宙船『音と文明号』で西欧文明圏脱出
何と格調高く、陰影と示唆に富んだ序であろうか。あたかも、これから始まる壮大なオペラを端的に表わす序曲にも似た佇まい。音を物質と同等に位置付けようとする訴え。今まで誰もが端的に指摘出来なかった物質文明に対する欠点の明示。物質文明への包囲網を、脳科学を始めとする諸科学を総動員して創り上げて行く見事さ。そしてデカルト流からの離脱は、あたかも地球重力圏を脱出して宇宙空間に飛翔した輝きに似る。
私も及ばずながら宇宙船『音と文明号』の乗客として、青き地球を外から眺めたくなった。600ページ近い難解な本を読み通すエネルギーを与えてくれた貴重な序である。
1.2 上の中: 結びの論考(P568):
能の世界にある伝統的人生時計と、サラリーマン社会の人生時計を比較し、自らを前者の世界にあるとする著者のスタンス。何と頼もしいではないか。読むだけで息を切らしながら辿り着いた結びにこの言葉を見出し、自分のエネルギー不足を恥じ入った。
『音と文明』は今我々人類の前に著者から始めて提示されたばかり。まさにこれから火山列島の盟主として人々の共感を得る仕事が待っている。この気力こそが我々の宝となるであろう。
1.3 上の下: 第九章2節1:『ハイパーソニック・エフェクトの発見』
これこそ『音と文明』のキングピン。学会等で繰り返されていた不毛の議論は一体何だったのだろう。これもまさにデカルト文明のなせる業であろうか。
音波と言うものがエネルギーのあり方の一つである事。しかも超音波領域ほどそのエネルギー密度が高い事を考えると、それが生体に何らかの作用をもたらすと考える事自体はごく自然な論理上の帰結のはず。しかも自分自身が英国から音波治療器を持ち帰っているのにも関わらず、そのような発想がまったくなかった。
いわくセンサーがない、通信路がないと知っている部分だけで判断し、切り捨ててきた自分が恥ずかしい。まさにパラダイムのトラップに捕らえられていた。
2.中品: もっと詳しく知りたい! 知的好奇心をそそられた領域
2.1 中の上: 第9章2節1(P462):知覚外の恵みは、知覚している好みにアドオンされるか?
上記上の下と同じところであるが、更に知りたい部分もある。最後の3行に記載されている点、すなわちザトーレ達の『音楽を「身震いする」ような応答とともに受容する脳のメカニズムとして報告された所と、高い共通性を示している』との記述が目を引いた。
これは考えようによっては『知覚外に受信しているメッセージ』対『自分が知覚し、しかも好んで受けるメッセージ』の違いでもある。この場合「ハイパーソニック・エフェクト」がアドオンされるのか、それとも「好み」と言う事で既にモードが替わっている為、超音波領域のアドオンはないのか、に興味がある。
2.2 中の中: 第十章3節1(P531‐3):ハイパーリアル・エフェクトの正体は?
私なりの表現となるが、『光情報が音情報と同じく超高周波領域の存在で音世界に準じて<脳に優しい環境のグランドデザイン>として検討を続ける事を暫定的、現実的対応としたい』とある点。目対応を企業ドメインの中心に置いていた会社に40年も在籍していた者にとって、この示唆は計り知れないインパクトを持つ。
個人的体験のみに絞っても、目の解像力以上に細かい電子写真感光体やトナー開発の意義が明らかとなるし、その逆にコンピュータ・グラフィックスへの謂われなき生理的嫌悪感を説明する縁ともなり得る。前者はまさに解像力以上の微細さがもたらすポジティブな例、後者はのっぺりした肌合いがもたらすネガティブな例の見本。何故だ?と思うのは自然であろう。
2.3 中の下: 人類の脳は環境内での物理的存在を感知する能力がある?
『心ここにあらざれば、見れども見えず聞けども聞けず』と言う言葉がある。逆に言えば『心が望めば、見えないものも見えるし、聞こえないものも聞き取れる』とは云えないであろうか。また視覚の『ハイパーリアル・エフェクト』も同じではなかろうか?但し本来存在しているのに、その場の物理的制約から受け手に到達しない場合は、と言う条件付きで。
例えばコンサート会場では空気の粘性から超高域の到達域は限定され、指揮者と最前列以遠には可及的に到達し難くなる。つまり天井桟敷はおろか特等席の聴衆でさえも、ハイパーソニック・エフェクトの恩恵に浴せないはずである。
従って超音波領域専用の分散型PAシステムを導入しない限り、ハイパーソニック・エフェクトコンサート開催は原理上困難となるであろう。それとも恩恵を受けた一部の聴衆がトランス状態となり、伝播するのであろうか。
しかしCD音で純粋なハイパーソニック・エフェクトが生じない事は既に本書でも明白。脳にはセンサーに依存せず、その環境に於ける音波や空間周波数の物理的存在の有無を判断するメカニズムがあるのであろうか?
3.下品: 勝手な思い込み。 何かのヒントになれば幸せである
3.1 下の上: 第10章3節、人類以前のご先祖様から学びたい事
生物が海で誕生してから約40億年。遺伝子的にはミジンコも立派な人類のご先祖様である。そして何時の日か革新的な発想を持つご先祖様が海から新たな種として上陸した。
今、『音と文明』は革新的な発想を提示中。コンクリートジャングルは本来の生存環境ではない。人類本来の環境、熱帯雨林をバーチャルに創り出そうと呼びかけているのだ。
P543-547にはバーチャル熱帯雨林の具体化提案が複数なされている。しかしこれらはいずれも個体を取り巻く環境に関するものである。
願わくは熱帯雨林をミクロ領域として外部に持つのではなく、例えば上陸したご先祖様の如く環境を内部に取り込む様な発想を期待したい。
3.2 下の中: 結辞(P552)<本来−適応モデル>は魅力的だが、後天的因子の多い人類にも役立つのであろうか?
<本来−適応モデル>は魅力ある仮説である。しかし人類の如く文明が個体育成環境の一部として不可欠な種の場合、単に種の生誕環境のみが<本来プログラム>と言うのはやや得心が行かない。この文明と言う一種の亜種生誕にも類する後天的因子も、遺伝子には及ばぬとはいえ何らかの影響力を持っているのではなかろうか。
イスラエルとパレスチナの悲劇は、互いに自分の文明を相手に否定されている事に端を発している。人は残念ながら自分の育った文明を否定された時点で、どんな価値があろうともそこで思考停止となり易い。
人類の英知がテロで胡散霧消する危険性のある現代。熱帯雨林環境の復権で、人類の心の闇が非言語的環境の改善により救われる事を願うのは私だけではないだろう。
3.3 下の下: 火山列島方式は企業文化でもある。新文明創出にはマグマの動きが必要
企業活動は火山列島方式そのもの。企業はグループでの力量発揮が大前提だからである。従って『音と文明』が目指す社会を創造するに当たって、火山列島方式はサラリーマンには十分馴染みのあるシステムである。
しかし地球規模で影響を及ぼす為には、物言わぬ大衆を味方にする事が成否を分ける様に思う。それには火山列島を生み出すマグマの移動が必要ではないか。
論理では分かっていても腑に落ちないと人の心は動かぬ。大衆の心を動かすには著者の幅広い才能の一つ、芸術がまさにマグマとして役立つのではあるまいか。
<脳に優しい環境のグランドデザイン>を主役とする芸術作品を山城祥二が世に送り出し、人類を蘇生させるマグマとして活躍する日が近い事を心から期待している。